読んだ本

+--August 27, 2008--+

中央公論Adagio「吉田茂と白金台を歩く」

都営地下鉄の隔月刊フリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「吉田茂と白金台を歩く」 です。これまで作家を中心に、落語家、映画監督、ミュージシャン等々で特集を組んできましたが、ついに政治家です(笑)。

恥ずかしながら、私、今号を読むまで東京都庭園美術館が、朝香宮邸→首相官邸→迎賓館 として使われていた建物とは知りませんでした。迎賓館としての役目を終えたときに、美術館という一般に広く公開する施設にすることを考えた人は素晴らしい! な〜んて書いていますが、私まだ庭園美術館に入ったことないんですよね。自転車でそばを通り過ぎたことがあるのみです。いつか行ったら、首相官邸や迎賓館だった頃を想像して楽しもう(笑)。

「海のTOKYO」シリーズは観音崎灯台。掲載写真を見ると、シンプルだけど落ち着いたいい姿の灯台ですね。
そういえば、この夏は海はおろか、プールにも一度も行かずに終わってしまいそう。。。この先、天気がいい日に時間がとれたら、江東区内の海辺の公園でのんびり読書くらいはしたいんですけどね。

今号の記事は私はあまり興味を抱けなかったのですが、白金は御化粧延命地蔵のある玉鳳寺にいつか行きたいと思っています。最近ちょっとニキビがポツポツ出ているので、美肌祈願に行くのにちょうどいいかも。

+--August 25, 2008--+

「狐罠」北森鴻


狐罠」読了。

店舗を持たない古美術商・旗師の宇佐見陶子のシリーズ第1作目。陶子さん、第1作目でこんな大胆なことやっていたんですね(笑)。私はまだこのシリーズと香菜里屋シリーズの北森鴻しか読んでおらず、香菜里屋シリーズの工藤に比べてかなり策士な宇佐見陶子に、最初は戸惑いつつも2冊目(「緋友禅」を先に読んでしまったので)ともなると段々慣れて楽しめるようになってきました。

骨董の贋作を扱った話で、騙したつもりが騙されて、、、というようなストーリー。最終的に皆を手の上で転がしていた人は、途中からそうかなと思った通りではあったけど、その人があの人でもあるとは。わりと最後の最後まで謎が残っているので、たるむことなく最後まで読めました。

ただ、硝子さんのあばずれ口調というか、「大丈夫かい」「おあいこさ」みたいな語尾を使う人って、少なくとも私が実世界で知っている人の中にはいないよなあ、などと余計なツッコミを入れたくなるところもありますが(笑)。

それにしても、この小説のような「科学的検査もパスしてしまう贋作」というのは、本当に作れるものなのでしょうか。そういう実際の贋作の世界にも興味が湧いてきますね。そう思って読み終わると、どうぞとばかりに参考資料一覧が巻末にあるので、そちらから面白そうなものを選んで読んでみようかと思います。

+--August 22, 2008--+

「黄色い吸血鬼」戸川昌子


黄色い吸血鬼」読了。

戸川昌子の短編集で、表題の作品は売血を扱った作品、その他堕胎や獣姦など、おどろおどろしい世界が書かれています。でも著者自身があとがきでも言っているように、エイズウィルスに犯された血液製剤を使ってしまう製薬会社・医師とか、蓄財を騙し取って老人を一文無しに陥れる犯罪者とか、現実世界はちょっと昔の反社会的小説を軽く超えてしまっているような。これらの作品、そうした人達に比べたら微笑ましく見えるくらいです。

さて、これで馬込図書館の小説の棚にあった戸川昌子著の本は読み終わってしまいました(笑)。あとは、文庫の棚か閉架になるのかな。まあ、ちょっと怪奇づいてしまったので、しばらく戸川昌子は休むとしよう(笑)。

今のところ読んだ戸川昌子作品では、やはり「大いなる幻影」が一番。私自身が女性であるというのもあるのでしょうが、彼女の女性心理(しかも醜い部分)描写は最高です。

+--August 19, 2008--+

「火の接吻」戸川昌子


火の接吻」読了。

昔、洋画家が命を落とした火災事件。原因は洋画家の息子も含めた幼稚園児3人の火遊びとされている。彼らが成人となってから起きた連続放火事件に、3人は刑事・消防士・放火魔として関わっているのだが、まるで誰かに操られるように再会し、更なる事件に巻き込まれていく、、、といった話です。

中盤たるんだ感もあったのですが、さすが戸川昌子、最後はこれが真相かと思ったらまた新たな真相が、、、という展開。でも、私にとっては、推理小説としての種明かしもさることながら、その「種」の部分にからみつく女や男の業がいいんだよなあ。戸川昌子の手にかかると嫉妬や打算もなぜか美しい感情に見えてしまいます。

+--August 16, 2008--+

「1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶」


1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶

この写真集、1960年台の東京が写っているという回顧的意味とは別に、池田さんのアングルというか姿勢というか、撮るぞ!!って感じではなく、そっと撮っている印象がすごくいいです。

いや、東京オリンピックで変わりゆく前の姿を残しておかねばと思っていらしたことは確かなのでしょうが、さすが図書館の人(写真を撮った池田氏は都立日比谷図書館にお勤めの方)というか、プロの写真家や報道カメラマンが撮った写真よりカメラマンの主張が出ていないんですよね。どの写真も、立ち止まってちょっとそこの様子を見ている感じで、見ているこちらもそんな気分になってくる。

巻末に松山巌が『池田がこれらの写真を撮ったころ、自分はちょうど高校・大学を過ごしたときで、自分にとっての60年代は四大公害があきらかになり、キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争、文化大革命と騒々しかったのに、池田の写真からは静かさ・落ち着き・奥行きを感じる』という内容のことを書いているのですが、本当にそうなんですよね。う〜ん、私もそんな風に今の時代を捉えていきたいところです。

写っている東京の風景も、他の写真集では見たことなかった(といっても、私の見た冊数はたかがしれていますが)ものがいろいろあって、特にワシントンハイツの写真は初めてみたので、おぉ〜と思ってみていました。

ところで、ここに載っている写真、どこかでみたことあると思ったら、毎日新聞がやっているクイズ昭和の記憶はこの本の写真を使っているんですね。こちらのサイトは、毎回一つの写真を「この場所はどこでしょう」というクイズにしているのですが、正解をクリックするとその場所の今の様子が見られるので、既にこの写真を見て答えを知っている人でも、今と比較できるという意味でお勧めです。

「<盗作>の文学史」栗原裕一郎


盗作の文学史」読了。

この本を読み終わってまず思ったのが、「栗原さん、お疲れ様!」です(笑)。まだ著作権という概念が日本になかった頃からのことを、しかもモノによっては資料も現存せず確認できない、それをよくここまでいろいろまとめたものです。読むのは大変(しかもトークライブまでにという期限付きで)だったけど、苦労した価値あり!それに、量は多いけれど、しっかりまとめられているので、わかりやすいです。

<盗作>は著作権侵害とは似て非なるものなんですよね。この本で取り上げる<盗作>の定義は、「本書では基本的に、何かしら議論や波紋を読んだ者を盗作事件と考えている」とあります。この本は、「<盗作の>文学"史"」」ですので、それが実際に盗作か否かは留保し、とにかく過去盗作だと騒がれたものを挙げていくというものなんですね。

章それぞれの感想については、12日13日14日15日の日記に書いたからそれによるとして、全体を振り返って思うのは<盗作>という概念の曖昧さ。騒がれていたもののうち、裁判で争っても(つまり法律的に判断しても)有罪になるものはほとんどないと言っていいでしょう。「ちょっと似ている」「あの作品を思い出させる」なんて程度では有罪にはなりませんし、有罪であることを立証できる作品なんてそうはない。

むしろ、<盗作>はそうした「罪の文化」で判断するものではなく、「恥の文化」で判断されるものなのでしょう。「パクリなのに恥ずかしくないのか」とか「作家のモラル」とかいった基準で、許されるべき範囲なのか、そうでないのかが問われる。そういう意味では、この本では日本の事例しか挙げられていないので、「罪の文化」である欧米での盗作事件の扱われ方がどうなっているのかも知りたくなりますね。

ただ、真似は全ていけないのかというと、真似で成り立つ作品だってあるわけです。真似がとにかくダメなら、芥川だって盗作者ってことになっちゃうでしょう。そもそも真似が全くダメなら、文章を書くということ自体ができなくなるんじゃない?

それが盗作と思われるか否かというのは、そういった「恥の文化」的なものなので、実は基準もその時代の文化的なものによって左右されてしまうし、この本を読んでいるとわかるのですが、表現としてうまく言っていると許されたりもしちゃうんです。極端な話、盗作と騒がれるかは運と言ってもいいくらい。

<盗作>問題を厳しく問うていく方向にいくと、表現の幅が狭まって、結局その時代の表現がつまらなくなっていきますよね。今、私はあまりテレビを見ていなくて、ラジオの方をよく聞くのですが、同じ人でもテレビよりラジオに出ているときの方が面白い。それはテレビの方が自主規制が厳しいからです。文字の世界ではそうなって欲しくないものですね。もちろん、他人の権利の侵害はしないというのを前提に、でも小さくなって安全なところでしか表現しない、なんてことにはならないように。

あと、盗作についていろいろ考えていると、読み手の態度が問われている気もします。

例えば好きな作家AさんのBという作品が、実はCさんという特別好きでもない作家の作品だったとわかったとします。そしたら、私はBという作品に対しそれまでと同じ評価をできるか、できないのだとしたらそれは正当に作品を読んでいるのではなく、「Aさんの」という色眼鏡をつけた上でBを読んでいるのではないか。

または、ストーリーが借用でも文体が独特な作品だとか、文体は誰かの真似っぽいけど全体として独自の世界を築いている作品があったりする、その小説というものを読むにあたって自分はどんな要素をどのように楽しんでいるのか。

というわけで、「盗作の文学史」は、読むのに体力要りますが、文芸を読む人にもそうでない人にも、ものすごくお勧めです。

+--August 10, 2008--+

「大いなる幻影」戸川昌子

大いなる幻影」読了。

大塚女子アパートがモデルになった小説ということで、いつか読んでみたいと思っていた本。あまりあらすじを説明したくないですね。私自身が事前の知識がなく読んで、それがすごくよかったので。

と言いつつも少し説明してしまうと、「社会の中で自立する女性が住む場」として作られた単身女性向けアパート、外でバリバリ働いている住民もいるけど、昼間に残っているのは引退して孤独に暮らしている老齢の女性が多い。互いに顔は知っているけど、その奥に秘密にしていることがそれぞれあって、アパート内の全ての部屋を開けることのできるマスターキーが彼女達を翻弄する。。。

この身寄りのない女性達の、自分のプライバシーは犯されたくない、秘密は守りたいという気持ちと、その一方で近隣の女性のプライバシーは軽視するというか、全く正等ではない正義感やらどんぐりの背比べ的な優越心をもって、他人の秘密に踏み入っていく、そうしたやってはいけないんだけど、誰しも(とは限らないかもしれないけど)持っている欲をありありと描いているんですよ。

この本の冒頭の「作者の言葉」には、
ここに出てくる登場人物も建物の細部にわたる条件も現実の女子アパートとはまるで違っています。アパートには中庭の焼却炉も窓の手摺もありませんし、孤独で陰気な老嬢たちもすべて作者の分身なのです。
とあるので、本物の大塚女子アパートでこうした世界があったとは思っちゃいけないですね(笑)。ちなみに大塚女子アパートは既に取り壊され、跡地には茗荷谷複合施設を建設する予定で、そこ小石川図書館が移転してくる予定です。

+--August 08, 2008--+

「土龍」出久根達郎


土龍」読了。

これは読み終わって少し反省しちゃいました。主人公が同心の見習いをしていた人物で、でも使えないと判断されて放り出されて、ちょうどペリーに対抗してお台場を作るのに人夫を大募集していたから、そこで働くことになる。しかしお台場の現場では何やら陰謀めいたことが行われていて、その陰謀を探ってやろうと主人公があれこれ動くんです。だから、この主人公こそ何者ぞと、主人公を疑って疑って読んでいたのですが、本当に「不審なことをしている輩をそのままにはしておけぬ」という純粋な思いで動いていただけのようで、私の読み方は私の不純さゆえだということが思い知らされたというか(笑)。

それに、主人公やその仲間達の、江戸っ子ぶりがたまらないですね。ストックを築こうとせずにフローで暮らしていこうという、今の経済学を基準にしてしまうと危険極まりない暮らし方なのですが、これぞ江戸っ子ですよね(笑)。死守すべき財産とかがないから単純明快に人を信用できたり、好意の表し方もさっぱりしているようなところがあって。

だからといって、今の時代で彼らのような気風のいい人になったらどうかというのはわかりませんが、少なくとも今持っているものを守るためにフットワークが重くなったりはしたくないなと思いました。近頃エコロジーの点で江戸に学ぶというのはよく言われることですが、学ぶべきはむしろこういう精神的な身軽さなのかもしれません。

+--August 03, 2008--+

「あうる」6・7月号

NPO図書館の学校が発行している雑誌「あうる」。6・7月号の特集は「どう調べる?」です。「図書館を使った"調べる"学習賞コンクール」受賞者の小学1年生の男の子、ノンフィクションライターの野村進さんの2人それぞれのインタビュー記事と、レファレンス協同データベースを紹介する記事で構成された特集は、生徒・学生だけでなく一般の大人にもためになりそう。

野村進さんは、今日読み終わった「千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン」の著者で、実はこの本も「あうる」の記事で知って読んでみたんです。野村さんのインタビュー記事にある、情報通の人の助けを借りて放射線状に知識を広げていくというのはすごくわかるなあ。私もこのブログのコメントやメールを通じてどんなにいろいろなことを教えてもらっていることか。

でも同時に、詳しい方にはこちらの知識がどれだけのものかということも見透かされてしまうので、いろいろ教えていただくには教えるに足る人だと認めてもらえるだけのものを持っていないといけないんですよね。う〜ん、これからも日々努力していきます(笑)。

野村さんは「調べる技術・書く技術」という本も出しているのですが、こういうジャーナリストを志す人のテキストとなる本が、新しいものでも立花隆・本田勝一・竹中労が書いたもので、それより下の沢木耕太郎・佐野眞一・吉岡忍らの世代はライター間の生存競争が激しくて手のうちを明かしてなんていられなかったという説があるらしいんですね。でも今は生存競争よりテキストのなさの方が問題だということで、野村さんはこの本を出したのだそうです。確かに自分の持つノウハウを公表するというのは、公表しても揺らがない自分を確立していないとできませんよね。その「確立」というのは、人によっては社会的地位かもしれないし、またはもっと精神的な自信なのかもしれないけれど。

コンクール受賞者の男の子の記事では、お母さんの
図書館には静かに読書する部屋も必要ですけど、ちょっと声を出して相談できる部屋も絶対欲しいと思います。たくさんの本をひろげて、小さな声で相談しながら調べられる部屋、それは例えば、読み聞かせのお部屋をあいているときに貸していただけるとか、その程度でいいんですけど
という言葉が印象的。静かな空間と話しながら調べたりできる空間って、児童コーナーに限らず一般コーナーにもあって欲しいです。多くの図書館では貸出返却カウンター周辺がそういう「話や相談ができる空間」っぽくはなっていますが、静かであるべき空間にレファレンスカウンターを置く図書館もあって、それは相談のしやすさとしてはどうなんだろうと思ったりします。

で、このお母さんの言葉に対して、取材された方が
なるほど。最近は予約制で「話しながら調べられる部屋」を用意している図書館も増えてきていますが、もっと広まって欲しいですね
と書いているのですが、それはちょっと違うように思うんですよね。子どもが、ん?と興味を持ったところに応えるには、予約制なんてむしろハードルになっちゃうんじゃないかな。もっと単純に、おはなしの部屋(子供向けのおはなし会などをする部屋で、ほとんどの23区立図書館にあるし、全国的にもそうだと思っていいと思います)を図書館行事で使っていないときに開放するだけで充分。まあ、今の世の中、死角になる場所だと児童を狙った犯罪が起こらないとも限らないので、窓もなく見通しも悪い部屋だったら職員さんをつけておくとかしないといけないかもしれませんが、おはなしの部屋を普段締め切りにしている図書館にはぜひ開放を検討して欲しいところです。

特集とは別ですが、「図書館サービスにPFIを生かす」という記事では、桑名市立図書館の事例を紹介。すごいと思ったのが、前桑名市生涯学習課課長の大塚氏の話。
わたし自身は、博物館職員の経験もありますので、長年蓄積された情報を、図書館カウンターに関わる人すべてに伝えたいと考えました。そこで新館開館前、三日間かけて全スタッフに、郷土資料についての集中講義をしました。これはそのあと半年間、一週間に一回ずつ継続していくうちに、スタッフ全員に桑名についての基本知識が定着してきたので、現在は一ヶ月に一回、宿題式で講座を行っています
という話には、この人の本気を感じます。図書館に限らず、組織を運営していく上で、方針を作ったり目標を作るなんて誰でもできることで、大変なのはそれを本当に浸透させることなんですよね。始めることより続けることの方がどんなに大変か。この記事では前課長のこの方にしか話を聞いていなくて、実際にどれだけ浸透しているかは図書館職員さんや利用者等々にも話を聞かないとわからないけど、少なくともこの前課長さんの熱意はものすごく大きい。

あと、「昭和の記憶」という展示の際に、市民に情報提供を呼びかけるだけじゃなく、情報提供者のところに聞き取り調査に行く人も公募したというのも面白い。この前課長さんはいろいろな人を当事者として巻き込んでいくタイプの方のようで、この記事を読んでいると桑名市立図書館もさることながら、この大塚さんという方にすごく興味を持ってしまいます(笑)。

などなど、今号は図書館業界・教育界の人のみならず、一般の図書館利用者にも興味深い記事が詰まっています。「あうる」は普段から業界の人だけでなく、広く図書館利用者を対象として誌面を作っているのですが、今号は特にそれがうまくいっていますね。一般の書店では売っていませんが、図書館の雑誌コーナーに置いてあるところもあるので、見かけたときにはぜひどうぞ。

「緋友禅」北森鴻

緋友禅」読了。

北森鴻の冬狐堂シリーズを順に読むつもりだったのですが、またやっちゃったかな。どうやらこれはこのシリーズの1冊目ではなかったようです(笑)。「狐罠」「狐闇」「緋友禅」「瑠璃の契り」が正しい順番かな。

北森鴻はその本がどのシリーズのものなのか、シリーズ何作目なのかということをタイトル等に書いてくれないので、シリーズごとに読もうとすると難しいですね(笑)。それとも図書館本を読んでいるからわからないだけで、帯にはどのシリーズの何作目って書いてあるのかな。でも北森鴻はいくつかシリーズを持っていて、あるシリーズの登場人物を違うシリーズに登場させたりするので、たぶん意図的にどの本がどのシリーズだとわかりにくいようにしている気もします。

緋友禅」には、古物商の中でも店舗を持たない旗師の冬狐堂こと宇佐見陶子を主人公とした4つの短編が収録されています。「陶鬼」は結ばれなかった恋人同士の思いよりも、結ばれたけれど愛憎どちらの感情も併せ持った夫婦の関係の方が断然面白い。表題の「緋友禅」は、たとえ冬狐堂が芸術家を育てる画廊などではないとしても、埋もれていた貧乏芸術家にぽーんと大金をしかも現金で払って作品買占めとかしちゃったら、そりゃその芸術家を狂わせるだろうと突っ込みたくなります(笑)。香菜里屋シリーズの工藤に比べたら、その辺ちょっと配慮が足りない人というか、そういう人であるがゆえに小説の題材となりうる事件が起こるということなんですけどね。

香菜里屋シリーズよりも欲や悪意がうごめいている世界で、これはこれで面白そう。次はちゃんとシリーズ第1作目を読んでみます(笑)。