バリー・アイスラー
+--April 20, 2008--+
「雨の影」バリー・アイスラー

「雨の影」読了。
これで殺し屋ジョン・レインシリーズの現在発行されている4冊全て読み終わりました。と思ったら、「雨の罠 」の感想記事は下書き状態のままで公開していなかった。これも一緒に公開しておこう。
私がこのシリーズを好きなのは、主人公の人間の限界をわかっている思考にすごく共感できるからです。他人を信じないだけでなく、自分も信じていなくて、それは悲観的ということではなく、ヒトという動物の限界をわかっているから。でもそれを嘆くわけではなく、前提条件として受け入れて、その上でどうするかを判断していく。
と、頭で考えている通りにできればいいのですが、わかっていても感情が勝ってしまうときもあるんですよね。それもまた、人間の限界。
この考え方、ブライアン・フリーマントルのスパイ小説シリーズのチャーリー・マフィンにもあると思うし、高村薫の合田雄一郎にも感じます。
「雨の罠」バリー・アイスラー

「雨の罠」読了。
これは日米ハーフの殺し屋、ジョン・レインシリーズの3作目なのですが、先に読んでしまった4作目「雨の掟 」より面白かったです。誰が敵で誰が味方(味方がいるならば、ですが)なのかも、誰と誰がつながっているのかもわからない、これぞスパイ(というか殺し屋だけど)小説の醍醐味。
それに文章の端々に表れる著者の考えが面白い。主人公が六本木ヒルズに来たときの文章
たぶん、よいものなのだろう。周囲の人々は見るからに楽しげだ。だが、ここには歴史がない。ゆえに時間の流れというものを欠いている。魅力的であることはまちがいないが、不適なほど前向きで、奇跡を見るように過去にまるで無頓着だ。そのためか、私はどこかアメリカ的なものを感じた。私はいまだに六本木ヒルズに行ったことないし、何か用事でもない限り行かない気もしますが、六本木ヒルズ以外の新スポットを思い浮かべても当てはまると思います。これを「アメリカ的」と表現するのも面白い。
ところでこのシリーズ、日本語でのタイトルがどうも気に入りません。例えば、この「雨の罠」は原題が「Rain Storm」で、主人公の名前Rainを使って、天気の表現と小説内での主人公の様子を掛けているのですが、「雨の〜」で統一している日本語タイトルがそれをうまく表現できていないんですよね。
「Rain Storm」って、この小説内で調べるたびに新しいことが発覚したり、今までの推測とは反することが起きたりして、いつまでたっても事件全体がつかめない様子をあらわすいいタイトルだと思うのですが、「雨の罠」ではそれがわからない。もったいないと思ってしまいます。
原語で読めればいいのですが、諜報機関が頻繁に出てくるミステリなんて私には絶対無理(笑)!翻訳したこの本と照らし合わせれば、読めるかなあ。。。。
+--April 11, 2008--+
「雨の掟」バリー・アイスラー

「雨の掟」読了。
バリー・アイスラーの処女作「雨の牙 」を読んだ後、2,3作目をすっ飛ばしてこのシリーズ4作目を読んだのですが(先日豊島区中央図書館で書棚にあったので)、1作目に見られた和洋折衷な面白さがなくなって、よくある外国サスペンス小説になってしまったように感じました。
今回のこの本の主要な舞台が日本でないというのもあるのでしょうが、小道具として「五輪書」などは出てくるんだけど、日本的発想が見られなくなっちゃってるんですよね。シリーズの発展を追い求めて、原点を忘れてしまっているのかな。
あと、ラブシーンの描写も1作目の10倍くらい長くなってますね。これは読者のニーズに応えたのか(笑)。1作目のつつましさはとてもよかったのですが。
こういうのって小説でなくてもありますよね。業界(ミステリ小説)の常識を勉強したり、お客(読者)のニーズに応えようとすることで、独自性が失われていく。。。だからといって、独りよがりになってもいけないし、そのバランスは永遠の課題なんだろうな。私も、図書館に詳しくなっても、図書館び寄り過ぎてもいけないし、批判的過ぎてもいけないよなあと思います。
それにしても、最近、さらっと読めてしまう小説ばかり読んでいます。仕事で面倒くさいことをしていると、小難しい読書はしたくないですね。。ん?これって、手強いものを読んでいるときは、楽な仕事してるってことか(笑)。
+--April 08, 2008--+
「雨の牙」バリー・アイスラー

「雨の牙」読了。
これは川本三郎の「ミステリと東京」で取り上げられていた小説。在アメリカ日本企業に勤務するアメリカ人が、日本に3年滞在していたときの経験をもとに書いた、東京を舞台としたミステリです。これが処女小説なのですが、原書である英語版が発行されるより、日本語訳の方が先に発行されたという珍しい経緯もたどっている本でもあります。
読んでいて奇妙な感覚になるんですよね。文体は翻訳小説だけど、舞台は日本。青山の蔦珈琲店のようなお店が登場したり、登場人物がアメリカ人と日本人のハーフで、その仲間がアメリカ生まれの日本人なんですが、彼らをはじめとした登場人物のアメリカ・日本に関する考え方がそんなにアメリカ的ではないんです。だからといって、やっぱり日本人作家による小説とも違う。
ストーリーとしても私好みで、殺し屋の主人公が自分が殺した男の娘にプライベートで魅かれてしまい、しかし彼女は父親が殺された理由になった秘密を父親から受け継いだと敵に誤解され、彼女を殺す依頼が主人公に来る。彼女を守るにはその秘密を公けにしてしまえばいいと、主人公が謎を解こうとするが、、、というもの。
その秘密を欲しがるものとして、日本の警察、CIA、政党などなどが入り乱れて、そういう「誰も本当には信じられない。頼れるのは自分だけ」みたいな話って好きなんですよね(笑)。いや、その状況よりそれを踏まえた探り合いが好きなのかな。主人公の立場から言って、彼女と主人公の間も完全に信じ切れていないがゆえの探りあいがありますし。
これはその後シリーズものになって、4作目まで出ているみたいです。最近、シリーズものの当たりが多くて嬉しい限りです。







